 Masuk
Masuk一瞬たりとも視線をそらせることが出来なかった……彼から。
無言のまま見つめ合い、まるで時間が止まってしまったように感じた。
どうしてだろう……どうして嫌な予感っていうのは当たってしまうんだろう……
もしかしてこの人じゃないかって思ったりもしたけど、本当に再会してしまうなんて。
再会してしまった気まずさや、彼の驚きや切なさの混じった表情を見たら、やっぱり再会なんてしちゃいけなかったんだって。そう思えてならなかった。
「もしかして二人は知り合いなのか?」 見つめ合うわたしたちと沈黙が続き、それを破ったのは店長だった。お互いしばらく返答できなくて、再び沈黙。
「あ……実は俺たち……」「いえ、店長。知り合いではありません」
「は……?何言って……」
ダメ……ダメなんだよ、秀ちゃん。わたしとあなたは本当は再会してはいけなかった二人なの。
わたしとあなたは赤の他人、何の関係もない……その方があたしもあなたも傷つかないのだから。
「初めまして。わたしは本社からやって来た加藤麻菜と言います。これからよろしくお願いします」
わたしが頭を下げて挨拶すると、秀ちゃんは複雑な表情を浮かべた。 「……仲森わたしはここへ戻ってくるべきではなかったんだ。
ここへ戻って来て秀ちゃんに会わない可能性の方が低いことは分かり切っていたのに。
わたしは秀ちゃんに辛い顔させることしか出来ない。ほら、現に今だってこんな泣きそうな辛そうな顔してる。
こんな秀ちゃんはもう見たくなかったんだよ……
「あっ、そうだ。仲森を加藤の教育係にしよう」「えっ……」
秀ちゃんがわたしの教育係……?それは……それだけは……これ以上秀ちゃんと関わりたくないのに。
「加藤はアメリカ暮らしが長いし、接客業に就いたことないらしいんだ。だから仲森、よろしく頼むよ」「分かりました」
秀ちゃんは一瞬の躊躇いも見せずに、即答した。どうして……どうしてなの、秀ちゃん。
「じゃあ、加藤。分からないことがあったら仲森に聞くように」「……はい」
店長は何処かへ行ってしまったし、他の社員たちは開店の準備に取り掛かっていた。わたしと秀ちゃんは二人、また気まずい雰囲気に包まれた。
「……よ、よろしくお願いします」「……あぁ」
大丈夫、わたしと秀ちゃんは上司と部下で、秀ちゃんはわたしの教育係。ただそれだけなんだ、と頭の中で何度も繰り返し自分に言い聞かせた。
「あのさ、麻……」「仲森さん、わたしも開店準備手伝ってきますね」
わたしは仲森さんの言葉を遮って、ディスプレイに綺麗に服を飾っている中に手伝いに入っていった。仲森さん、今わたしのこと“麻菜って”呼ぼうとしたよね……?
どうして……どうしてなの?わたしはあなたに名前で呼んでもらう資格なんてないんだよ……
私ももう“秀ちゃん”じゃなくて、“仲森さん”って呼ぶようにしよう。仲森さんとは一線引いて、上司と部下として、ただそれだけの関係で付き合っていかなければならないのだから。
「ねぇ、加藤さん。仲森さんと知り合いって本当?」 洋服を丁寧に畳み、並べていると、先程ジョンの登場で目を輝かせていた女性の一人が声をかけてきた。えっと……まだ名前が分からないや。
「あ、ごめんなさいね。私は藤田って言います」「藤田さん……よろしくお願いします」
人の名前を覚えるのが苦手なわたしは、何度も心の中で藤田さんの名前を繰り返した。 「それで、どうなの?仲森さんとは知り合い?」「それは……さっき店長にも言ったんですけど、わたしと仲森さんは知り合いではありません。今日初めて会いました」
「……そう。あなたがそう言うなら、何も言わないけど。……でもね、加藤さん。嘘はいつかバレるものよ?」
不敵な笑みを浮かべ、藤田さんは違うディスプレイの方へと移動していってしまった。 今のは……何?嘘はいつかバレるもの……って、藤田さんは何かを知っているの……?
もしかして、仲森さんは一時期かなり有名だったから、色々嗅ぎまわっている人がいるのかもしれない。そう思ったら、話しかけてくる人たち全てがわたしたちのことを知っているのではないかと疑い始めてしまった。
でも、他の人たちの注意は全く別のものにあって。
「加藤さん、ジョンって彼女いるの?」 これじゃあ、全くアメリカにいる頃と質問が変わらないと思った。ジョンはすっかりここの女性たちもすっかり虜にしてしまったか。
「うーん、彼女はいないと思いますけど……」「本当!?」
ジョンは特定の彼女を作らないから、わたしが知る限りずっと彼女はいないはず。まぁ、「女の子はみんな僕の彼女だよ」なんて言ってるおバカさんだしね。
「でも、ジョンってアメリカでもすごくモテたんじゃない?」「まぁ、あの容姿ですからね。女性に不自由したことないみたいですよ」
「やっぱりねぇ」
今、女性たちは手を動かすことより口を動かすことの方が忙しいらしい。仕事そっちのけで、ジョンの話題で盛り上がっていた。
「何してるんですか。サボってないで仕事してください」 この声は誰のものなの……というくらい低くて身がすくんでしまうようなそんな声の持ち主。それは仲森さんだった。
わたしの知らない仲森さんの一面を垣間見た瞬間だった。どうしちゃったの……こんなに冷たくて、らしくないと思った。
私の知っている彼はもうここにはいなかった……
「やぁねぇ、相変わらず鬼上司よね……」「あーぁ、怖い怖い」
ヒソヒソと陰口を叩きながら、女性社員たちが仕事に戻っていった。いつも笑顔で周りから愛されるキャラだったのに、一体どうしちゃったのよ……
久しぶりに会った彼は、部下から恐れられる存在となっていたのだ。

「加藤、レジの使い方を教えるから付いてこい」「はい」仲森さんは昔と違って口調はきついけど、教え方は丁寧で優しい。昔と180度変わってしまった性格、変わっていない性格。わたしを“加藤”と呼ぶ声。少し寂しい気もしたけど、これでよかったんだよね……?少なくともわたしはこれでよかったと思ってるよ……“仲森さん”と“加藤”これで上司と部下としての関係が成り立った。それから先は干渉しなければ問題ないのだから。「加藤、分かった?」「はい、ばっちりです」特に機械音痴というわけではないので、案外簡単にレジの使い方を覚えられた。仕事に集中しよう……集中すれば、仲森さんのことや過去のこと……全て忘れることが出来すのだから。この思い出しやすい環境にいたとしても……「それから、レジは応対したお客様が会計する時に、各自俺たちがレジをすることになってるから」「はい。分かりました」それから接客において、一通りの注意を受けた後、いよいよ10時になり開店の時間に。お昼辺りになっても未だ数組しか来店していない状態。わたしだけじゃなくて、他の人たちも暇で暇で仕方がないって感じだ。「やっぱり本店とは全然違うでしょう?お客が入らな過ぎて驚かなかった?」ボケーっとしていたところへ、挨拶の時に一際目立っていた美人の人が話しかけてきた。あれ……?この人って、確かジョンに全く興味を示してなかった人だよね……?
一瞬たりとも視線をそらせることが出来なかった……彼から。無言のまま見つめ合い、まるで時間が止まってしまったように感じた。 どうしてだろう……どうして嫌な予感っていうのは当たってしまうんだろう……もしかしてこの人じゃないかって思ったりもしたけど、本当に再会してしまうなんて。 再会してしまった気まずさや、彼の驚きや切なさの混じった表情を見たら、やっぱり再会なんてしちゃいけなかったんだって。そう思えてならなかった。 「もしかして二人は知り合いなのか?」 見つめ合うわたしたちと沈黙が続き、それを破ったのは店長だった。お互いしばらく返答できなくて、再び沈黙。 「あ……実は俺たち……」「いえ、店長。知り合いではありません」「は……?何言って……」 ダメ……ダメなんだよ、秀ちゃん。わたしとあなたは本当は再会してはいけなかった二人なの。わたしとあなたは赤の他人、何の関係もない……その方があたしもあなたも傷つかないのだから。「初めまして。わたしは本社からやって来た加藤麻菜と言います。これからよろしくお願いします」 わたしが頭を下げて挨拶すると、秀ちゃんは複雑な表情を浮かべた。 「……仲森秀平、です。よろしく」 やっぱり……やっぱりわたしは……わたしはここへ戻ってくるべきではなかったんだ。ここへ戻って来て秀ちゃんに会わない可能性の方が低いことは分かり切っていたのに。 わたしは秀ちゃんに辛い顔させることしか出来ない。ほら、現に今だってこんな泣きそうな辛そうな顔してる。こんな秀ちゃんはもう見たくなかったんだよ…… 「あっ、そうだ。仲森を加藤の教育係にしよう」「えっ……」 秀ちゃんがわたしの教育係……?それは……それだけは……これ以上秀ちゃんと関わりたくないのに。 「加藤はアメリカ暮らしが長いし、接客業に就いたことないらしいんだ。だから仲森、よろしく頼むよ」「分かりました」 秀ちゃんは一瞬の躊躇いも見せずに、即答した。どうして……どうしてなの、秀ちゃん。 「じゃあ、加藤。分からないことがあったら仲森に聞くように」「……はい」 店長は何処かへ行ってしまったし、他の社員たちは開店の準備に取り掛かっていた。わたしと秀ちゃんは二人、また気まずい雰囲気に包まれた。 「……よ、よろ
職場に着き、わたしとジョンは真っ先に店長に挨拶を済ませた。「君たちが本社からの腕利き社員か。ここの店長の川端(かわばた)です」「本日からお世話になるジョン・テイラーと申します。こっちが部下の……」「加藤麻菜です。今日からよろしくお願いします」ジョンに引き続き、ペコリと頭を下げ店長を見上げた。店長は30代後半の体格のいい男性だった。「いやぁ、君たちには色々と期待しているよ。ウチの社員たちをビシバシ教育してほしい」店長の驚くほどの、わたしたちへの期待。ジョンへは期待を大いに持っていただいても構わないんだけど、わたしへは……「店長、申し訳ないのですが。この加藤は向こうで製作担当でしたので、接客業では全くと言っていいほどの素人なんです」そう……わたしは実は接客業というものをしたことがなくて。ここの助っ人として選ばれた理由は、わたしの服に対する思いや、仕事への熱心さを買われただけなんだ。「そうか……。じゃあ、こっちで加藤の教育係を一人つけるとしよう」「ありがとうございます。加藤は洋服に対する情熱は人一倍ありますから、役に立てるとは思います」「そうかそうか。それは加藤にも期待大だなぁ」いやいや、店長さん。わたしに期待されてもお役にたてるかどうか……それにジョンもわたしを持ち上げすぎだし。「じゃあ、今から顔合わせということで。社員たちに紹介するとしよう」店長に集められ、開店前の店内にズラリと並んだ社員たち。この人たちがこれから一緒に仕事をしていく仲間なんだ。「アメリカ本社から助っ人としてやって来たジョンと加藤だ」
髪を整え、メイクもばっちり決めて……「よし、出来上がり。今日は初日なんだから、気合い入れていこう」パシパシと頬を叩き、気合いを入れなおした。最寄りの駅から7つ先の駅まで地下鉄で向かう。たぶん始めは、地下鉄って複雑だしジョン一人だと迷うと思ったんだけど、昨日も行ったばかりだから大丈夫だと思ってジョンとは別に家を出てきた。それなんだけど……「麻ー菜ー!」朝から元気すぎるわたしの名を叫ぶ声を聞いたと思ったら、突然思い切り抱きつかれた。もちろん抱きついたのが誰かなんて、顔を見なくても分かる。「ちょっと、ジョン!何するのよ!離れなさい!」「え~?いいじゃん。僕と麻菜の仲なんだし」「どんな仲よ。朝から暑苦しいったらありゃしない」ベットリわたしに抱きつくジョンを冷めた目で見つめながら、ベリッとその絡まる腕を剥がした。全く……朝から面倒くさい人。「麻菜、僕への扱いが年々ひどくなってるよね」「アンタの扱いはこれくらいでちょうどいいのよ」「ひでー。さっきだって、せっかく一緒に出勤しようと思って待ってたのに、先に行っちゃうし」いじけたような表情を浮かべて、じーっとわたしを上目遣いで見つめてくる。きっとこういうところなんだろうな。女の子たちがジョンに堕ちる理由は、こういう母性本能をくすぐるところにあるのかもしれない。わたしより年上なのに、子供っぽくて守ってあげたくなるような……そんなジョンだから、何処に行ってもモテるんだと思う。わたしは全然……何も感じないけど。ジョンには悪いけどね。「なんで一緒に出勤しないといけないのよ。どっちみち会社で一緒なんだから、いいじゃない」「え~?僕は出勤時だってずっと一緒にいたい」「わたしはいたくない」「まあまあ、そう言わずに、ね?ということで、これからは一緒に行こう」何が「ということで」よ!!誰も一緒に行くなんて言ってないじゃない。全く、ジョンったら……いつもいつも自分勝手で何でもかんでもわたしの意見は無視なんだから。こういう時は、放っておくのが一番。ジョンとの長い付き合いで、これが学んだ教訓だ。「あっ、それからジョン?」「なに?」「職場ではわたしのこと“麻菜”じゃなくて、“加藤”って呼びなさいね」「え~!?なんでよ?いいじゃん、“麻菜”でも」子供のように駄々をこねるジョンに、わたし
日本に着いてからこんなことに気付いてしまうなんて……STAR☆の日本店は東京ではなくて、名古屋にあることをすっかり忘れていた。名古屋は、わたしの故郷。忘れたい思い出が一番詰まっている場所だ。「……はぁ」わたしは、隣のジョンに気付かれないように溜息を吐いた。久しぶりに帰ってきた名古屋に懐かしさを感じつつも、嫌な予感が。こういう予感って必ずと言っていいほど当たってしまうのだから、不思議だ。「……はぁ」これから住む場所に到着し、わたしの本日二度目となる溜息が炸裂した。「おいおい、これから隣同士で住めるのに何だよ、その溜息は」「……隣同士だからでしょ」ジョンが用意してくれたマンションは、駅からも近くなかなかの立地条件のところだった。しかもまだ綺麗で、マンションにしては広い方だ。マンション自体は気に入って、これから住むには文句ないんだけど。隣の住人が問題だ。「麻菜、早速明日デートするか」「はぁ?何度も言ってるけど、プライベートは関わらないでって言ったじゃない」本当に懲りないんだから、ジョンったら。これまでにもデートに誘われてことあるけど、いつも断ってきたのに。「デートはデートだけど、事前調査も兼ねたデートなんだよねぇ」「事前調査?」「そう、これから僕たちが働くところがどんなところなのか調査も兼ねたデートってわけ」「事前調査ね、それなら行く」ジョンに言われて気付いたけど、事前調査は大切だよね。これから働く場所がどんなところか知っておいた方がいいと思うし。売り上げが伸びないって嘆いているくらいだから、人が入りやすい休日に行けばよりベストよね。「だからね、麻菜。これは調査を兼ねたデートであって、メインはデートの方……」「ちょうど明日は日曜日で人も入ることだし、早速調査開始ね」「麻菜……調査も大切だけどね、デートも……」「お昼頃がいいかな。じゃあ、明日の13時に調査開始ってことで」「いや、だから……デート……」「じゃあ、そういうことでよろしく」まだ何か言いたそうなジョンを残し、新しい自分の家に足を踏み入れた。「ふぅ……」なんだかこの7年で随分この町は変わってしまった気がする。このマンションに来るまでの間、高校時代の友人の家の前を通ったんだけれど、建て直されていて他人の家になっていた。よく知っている町に来たはず
『麻菜、キミに決めたよ』この一言で全てが変わってしまった。わたしが選ばれたことによって大きく運命が動き出したと言っても過言ではない。17歳からここ、アメリカに住み始めて早7年。わたし、加藤麻菜は24歳になったばかりだ。父はアメリカ人で、高校生の時ここ、アメリカに渡った。7年もいるのに、英語が苦手で話すことすら出来ない。そんなわたしの支えとなってくれたのが今の上司で、わたしを指名した人……。大学を卒業し、この上司の紹介でこの企業に就職を決めた。わたしが勤めるのはアパレル業界でも有名な「STAR☆」という会社。レディースが主だが、最近はメンズやキッズにも焦点を当て全米で注目を浴びている企業の一つ。昔から洋服が大好きだったわたしは、この企業への就職が決まった時、跳びあがる程嬉しかった。ずっとこの会社で働いていこう。このアメリカ本社で……わたしには他に行くあてもないし、一生アメリカで生きていこうと思っていた。そう思っていたわたしの願いが一瞬にして打ち砕かれてしまった。「ジョン!どうしてわたしを指名したのよ!!」わたしが怒りをぶつけるのは、わたしを指名した張本人。わたしの上司のジョン・テイラー。どうしてわたしがアメリカ人の彼に日本語で話しているのかというと、彼は日本語が得意だから。アメリカへ来たばかりに友人となった彼は、英語が話せないわたしの通訳となってくれた。そして、その彼が今は上司。「STAT☆日本店」の売り上げが伸び悩んでいて、本社から売り上げを上げるべく助っ人として白羽の矢が立ったのがこのジョンだった。「仕方ないだろう?一人が困難だと思ったら、誰か一人だけなら連れて行ってもいいって許可もらったんだから」「だからって、どうしてわたしなのよ!!下っ端のわたしなんかより、有能な人を連れていけばよかったじゃない!」どうしてもアメリカ本社にいなければならないという理由はない。ただ……送られる先が日本というのが問題なのだ。もう二度と戻ることはないと誓った日本に行かなければならないということが……。「君も十分有能だ。それに……」ジョンはわたしの肩をそっと引き寄せ、わたしの髪をすくった。「君と離れるのは辛いんだ。僕は君がいないと生きていけない」耳元でこう囁く彼は、どんな女性も虜にしてきたプレイボーイだ。
